受け継がれる郷土研究
祖父が追究した
「小墾田宮=大福」説。
三十八柱神社の鎮座する大福の地は、推古天皇の時代に置かれた小墾田宮の地ではないか――。この問いを長年にわたり研究し、地域に伝えてきたのが、当社前宮司である祖父でした。
祖父は、『聖徳太子伝暦』『太子伝玉林抄』『大和名所記』などの文献、古い地名や条里の地割、横大路などの古道、そして大福で発見された銅鐸や古代の遺構を一つひとつ調べました。
その研究成果は著書『小墾田の宮とその大福説』にまとめられています。学説としては今も議論の続くテーマですが、郷土の記憶を守り、後世へ伝えようとした祖父の歩みは、三十八柱神社の歴史の一部です。
祖父が著した研究書『小墾田の宮とその大福説』著書の内容から
小墾田宮は大福にあったのか
祖父の著書は、推古天皇の宮都として知られる小墾田宮の所在地を、大福の地に求める郷土研究です。書名の「小墾田の宮とその大福説」には、古代の記録と、現在の大福に残る地名・道筋・伝承を重ね合わせて考えようとした研究姿勢が表れています。
著書では、聖徳太子伝暦や太子伝玉林抄、大和名所記などの文献を手がかりに、「大仏供の里」「小墾田宮」といった古い記述を検討しています。また、横大路など古代から続く道、条里の地割、寺院に関わる地名、出土した銅鐸や古代の遺構にも目を向け、大福が古代大和の交通・文化の一地点であった可能性を論じています。
研究の中心にあるのは、文献だけでなく、土地に残る記憶を読み解くことです。小墾田宮伝承之地の石碑や三十八柱神社の由緒、周辺の地名・古道を一つの歴史的な風景として捉え、神社に伝わる「小墾田宮」の記憶を後世へ残そうとしています。
この説は、古代史上の一つの見解として、今後も史料や考古学的成果と照らして考えていくべきテーマです。本サイトでは、祖父の研究を確定した歴史的事実としてではなく、三十八柱神社と大福の土地に受け継がれてきた郷土研究として紹介します。
文献聖徳太子伝暦・太子伝玉林抄・大和名所記
土地古い地名・条里の地割・横大路などの古道
遺跡銅鐸や古代の遺構、大福に残る伝承
原資料ギャラリー
祖父の著書を読む
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神名の読みについて 原著の該当ページでは「福井神(ふくいのかみ)」と振り仮名が付されていますが、現在参照される神名資料では「福井神(さくいのかみ)」とされるため、本サイトでは「さくいのかみ」と表記しています。原著の写真は、記載されたまま掲載しています。